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2014年3月11日 (火)

3年目の日本、26万人の避難生活

3月11日。今日は個人的な話をします。

ちょうど2週間ほど前、ボクは羽田から北海道の帯広空港に飛びました。よく晴れた日でね、機内から下を見ると宮城県の海岸線が見えた。

阿武隈川の河口にある亘理町の荒浜漁港のあたり。20年近く前、そこのすし屋で郷土料理の「はらこメシ」を食べた。今もその店の様子が目に浮かぶ。

そして名取川の河口にある閖上地区。

最上川の河口にある石巻市、釜谷地区。

高度1万1000メーターの機内からでも、知っている土地は区別がついた。

上空から見ていると緑や町が多い日本。でも、今言った地域は茶色や灰色をして、他とは違った色をさらしている。

巨大津波に襲われた石巻市は広大な灰色。岩手県沿岸は、複雑な入江の奥にある漁村だったところがすべて茶と灰の色だった。

3年前の7月16日。仕事のついでに、ボクは名取市の海辺にある集落、閖上に行った。

震災後、はじめて行った被災地だった。

別に、閖上という場所を知っていたワケではなく、名取市内のホテルに泊ったことと、名取川の周囲は津波の被害があったから、河口のあたりに行けば津波に遭った土地に出るだろう思って、クルマを走らせただけだ。

閖上(ゆりあげ)という地名すら、そのときのボクは読み方を知らなかった。

途中、荒れた畑には、打ち上げられた漁船がそのままになっていた。

家が途切れ、そこからは荒野のようになっていた。

壊れた家、柱しかない建築物、何キロも先まで見える荒れた土地。

そこに数千人の人々が暮らす町があったなんて、想像できない光景だった。

ボクは自分のクルマで行ったので、二人乗りの小さなスポーツカー、コペン。大宮ナンバー。ひと目でよそ者と判るクルマだ。

場違いな気がして、恥ずかしかった。

閖上の川にかかる橋の上でクルマのエンジンを切って降りてみると、遠くを走るトラックの音。そして風の音。小鳥のさえずりのみ。

聞える音はそれだけの、荒涼とした土地。そこにポツリポツリと破壊された家やコンクリートの建物が残っている。家の基礎ばかりが延々と続いている。

あるはずの音がない。

津波の威力と恐ろしさは、あの音のない土地にこそあった。無になってしまうこと。音のほとんどない世界になってしまうこと。

それがボクの被災地だ。今もこの日本に、茶と灰の傷跡としてそれが無数に残っている。

閖上で、ボクは写真を2枚だけ撮った。誰かに見せるためではない。それがどんな光景か、忘れないための写真。

でも、ボクはあの写真は見ない。閖上の様子は、今も目に焼き付いているから。

3年目の今、避難生活を送る人は26万7000人。

震災関連死も多く、自殺者が絶えない土地。

まだ26万もの人たちが、不便な暮らしを強いられている。

もう3年もたつのに。そんな日本のままでいいのか?




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