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2014年6月 4日 (水)

福島原発の証言 3月15日は日本が壊滅する瀬戸際だった

福島原発の恐怖の瞬間は2011年3月15日。震災4日目の未明に起きた。

「原発は制御不能」「官邸、撤退に一時傾く」。月曜の朝日新聞の一面に見出しが出た。

これは、当時の吉田所長が事故調査委員会に語った調書と、当時収束に追われていた官邸の細野の証言をもとに、朝日新聞が記事にしたものだ。

船橋洋一のドキュメンタリー『カウントダウン・メルトダウン』上巻(文藝春秋社)には、さらにその詳細が描かれている。

前日14日、午後7時。原子炉を冷却するための水が注水できなくなり、あと3時間あまりでメルトダウンを起こす予想されていた。

東京にある東電の本店では、当時会長の勝俣にこう報告がはいった。

「いや、もう、手がないんですよ」

勝俣は「エッ」と言ったきり、言葉が続かなかったそうだ。

メルトダウンが起これば、大量の放射性物質が大気に放出され、東北はもとより、東京まで壊滅する恐れがあった。

当然、原発で働く者も死亡するだろう。放射線障害は最悪の痛みと苦しみが伴う最悪の死に様だ。

福島第一原発では吉田所長が、所員の撤退を考え始める。

「自分は最後まで残る。最後の最後は、昔からしってる10人くらいは一緒に死んでくれるかな」そんな思いが頭をよぎったそうだ。

日が明けた15日午前零時すぎ。格納容器がいつ破損するかも知れない状況。

協力会社、つまり東電の下請け企業の社員たちが「もう帰りたい」と騒ぎはじめた。東電本店もパニックになっていた。吉田所長のもとに、ヒステリックな命令が次々に出されたそうだ。

深夜2時、官邸では東電の川俣晋原子力・安全部長から説明があったそうだ。朝日新聞では、誰が説明したのか、細野は発言者を明かさなかったと書かれている。

「いろいろやってきましたが、どうにもうまくいかない状態です」

「どんなにやっても冷却復旧がうまくいきません」

「本当に申し訳ないと思います」

話すうちに川俣の頬をぼうだの涙が濡らした。(『メルトダウン・カウントダウン』上巻P299より)

朝8時。

官邸に説明のため派遣されていた東電武黒一郎フェロー(副社長待遇)と川俣が、ぐったりとうなだれている姿が目撃されている。

黒武からは「もう何もやることがない」という言葉がこぼれた。

反応がないほど打ちひしがれた二人の様子を見て、当時補佐官だった福山は恐怖にかられたと言う。

最悪、日本のほぼ半分に人が住めなくなる有史以来、最大級の事故が引き起こされた。そのとき、日本は壊滅の危機、直前まで行っていた。

その後ガンで亡くなった吉田所長は、こう言い残している。

「我々のイメージは東日本壊滅ですよ」(朝日新聞6月2日より)

川俣が涙を流しながら、制御不能、日本の敗北を語るシーンは、ゾッとさせられます。

これほどまで多くを破壊しつくすものは、まさに戦争以上の力です。それが原発ですよ。

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